学習について、5つの冴えた名言(中編) - うつ病と型落ちの辞書について。
英語版ライフハッカー、16 Timeless Quotes About The Power Of Learningより。
前編はこちら。
学習について、5つの冴えた名言(前編) - fragment
明日死ぬように生き、永久に生きるかのように学べ。マハトマ・ガンディー
”今の行為はいつ役に立って、どのような利益が得られるのか?”
ふとした瞬間、僕はそれを考えてしまう。そしてそれを考えてしまったら、僕は動けなくなる事が多い。自分がしていることが果たして何の役に立つのかわからなくなり、行動の理由がなくなってしまうからだ。
もちろん、これは僕がうつ病であることが大いに関係あるのだけれど、それでも自分が今やっていることが何の役にも立たないという奇妙な核心を得てしまったら、何かを続けることは難しいと思う。
僕の抱えるうつ病にはこれがむしろマイナス方向に向いていて、自分が生きていることが役に立たない以上に迷惑である、という疑念が常について回り、そしてこれが僕という個に「自分は死ななくてはならない」という結論に向けて思考を奔らせる。
これが僕のうつ病の基本構造で、このような考え方を10年以上しているのだけど、そのためか常にいつ死んでもいいように生きる、というアイディアは常にあった。あったのだ。
けれど、ガンディーが言ったように「永久に生きるかのように、来るべき明日のために今日なにかをする」という考えには永らく至らなかった。考えてみればそれは当然で、僕の生はほとんど常に、来るべきすみやかな死のためのものだったからだろう。
だから、最近はこう尋ねることが多い。
「明日も生きていたら、どんな気分で生きていたい?」と。
これがなんだか、すこしワクワクするのだ。
学ばなくなったとき、君は死ぬ。ジャック・ニコルソン
なんだか、こう訳すと「エターナルフォースブリザード、相手は死ぬ」を思い出して笑えてきてしまうのだけれど、この言葉に込められたことは割りと意識することが多い。とはいえ、どちらかといえば自らよりも他の人を見て強く思い起こす事が多いように思う。
たとえば、相手を下に見て物をいったり、相手に理解できるはずがないという前提に基づいて物を言っている人を見た時。
このような物言いをする人は知識を増やすことはしても、知恵や教養というものを増やすことには消極的、というよりは積極的ではない。そもそも自分の知識や知見が正しいと信じて疑わないので、脳内の情報さえも更新せずに、誤った情報で断定的な話しをする。
ここまで当てはまっている場合、間違いを指摘されると途端に自分の立場や相手の立場を根拠にマウンティングをしようとして話を逸らすような傾向が見られる。そしてどんなに形成が悪くなっても謝罪をすることはしない。
情報を更新することもなく、中にある情報だけを引き出すことしか出来ない様子はさながら型落ちの百科事典のようだ。むしろ自分から物事に口を出して存在を誇示しないだけ事典の方がマシかもしれない。
長くなったのでもう一つ+αは次回。あでぃおす。