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断片と断片の連想ゲーム

学習について、5つの冴えた名言(前編) - 恥知らずと教育について

 

英語版ライフハッカー、16 Timeless Quotes About The Power Of Learningより。

ールをさらっと処理していたら、ライフハッカーのとある記事が目に止まった。「時を超える学びについての16の名言」というタイトルの記事だ。

やや黒歴史だが、一時期自己啓発本をいろいろと買っていた時期があった。働いていた時期なのでトータルで三万円弱つかった覚えがあるが、そのころ名言も漁っていたように思う。

結局、いろいろ読んだ挙句得るものはほぼ皆無で、名言をどれだけ知っていても自分の経験が薄く浅ければ言葉は真価を発揮しないという結論に辿り着き、以来はそのたぐいを取り入れることを殆どしなくなった。

ので、改めて名言をまとめた記事というのは久しぶりだったので、息抜きに読んでみることにした。
自分に響いた5つの名言、それの訳と備考、所感を添えて書いていきたいと思う。

 

 

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学ぼうとしない姿勢に比べれば、無知でいることは恥ずかしいことではない
ベンジャミン・フランクリン
 

イッターを見ていると、無知なひとを揶揄する発言がタイムラインに流れてくることがある。特にアカウントを開設してから四年以上経つアカウントでこのたぐいの発言をしている人はだいたい自分の意見を変えることがないように思う、芸風がそれで固定されているからだ。

厭世的で皮肉に富んだ文句を言い、噛み付いてきた人間がいようものなら高度3000メートルの高い目線から頑なな論旨でヘイトをばらまく、彼ら彼女らの日常はそういうものだ。

始めて二年や三年くらいのころはなんとなく、申し訳ない気がしてそのままにしていたのだけれど、いつからか自分もつられてネガティブになっていくような気がして、そういうアカウントからは率先して距離をおくようになった。

建設的な意見を述べることもなく、ソースが明確で公平なものに基づいた知識を取り入れることもなく、また現状が変わることにも、現状がそのまま続くことにも文句を言うことをやめない。
そのような人間は、確かに恥を知らないといえるかもしれない。
恥を知らない人間ほどしぶとく生き残るので厄介、ということでもあるが。

 

 

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 教養とは、学校で習ったことを忘れたあとに残ったもののことである。
アルバート・アインシュタイン

 

んなご存知チャップリンのそっくりさんことアインシュタインさんであるが、若かりし頃のアインシュタインは学校教育になじめなかった人間であったという話がある。

同級生に長らくのろまや怠け者と呼ばれていたことを初め、当時の軍国主義的な雰囲気に満ちたドイツの学校にもいい印象をもっておらず、引っ越した自分以外の家族を追ってイタリアに発ったという逸話まである。

しかし彼自身は学ぶことから無縁とは程遠い立ち位置にあり、幼少の時からつねに学び続けることを楽しんでいたその彼が言った言葉と考えると、なかなかに重みがある。

社会学や教育学で教科書に出てくるエミール・デュルケムいわく、

「教育は、個人およびその利益を、唯一もしくは主要な目的としているのではなく、それよりもまず、社会の存続のための固有の諸条件を不断に更新するための手段なのだ。」とのこと。

要は学校教育とは人材を効率よく各社会層に振り分けるためのシステムにすぎず、そもそもその教育をうける個人の便益を目的にしたものでは全くない、ということだ。

この辺はテラケイさんのむかーしの記事に詳しいので割愛する。(こちら:学校教育って、なんで無駄なことばかり教えるの?

このデュルケームの考えを踏まえてもう一度アインシュタインの言葉を反復してみると、尚更学歴や学内での功績を声高に宣伝する人間の薄さというのが際立って見えるような気もする。

個人的には学歴がどうだろうとそれはその人の一部にすぎず、人となりを語るには少なすぎる。むしろ自分のラベルを声高に誇示する人間ほど人として情報量が希薄であるような気さえしてくる。

ただまあ、博識であることや経験が豊富であることもまた人格者であることを保証しないのは言うまでもない。

 

長くなったので、後半は次回。