fragment

断片と断片の連想ゲーム

「夏の午後、風のサカナ」について

 昨年8月に書いた小説の話。

結局、設定とか解説とか書けないまま来ていたなあと思ったので。
読んでない方はとりあえず読んでみてください。
一万字という縛りがあったのでけっこうカツカツですが。

 

kakuyomu.jp

 

■この話を書いたわけと、メイキングについて■

書いた理由というのは、「夏だし季節モノがなにか書きたい、怪談とかどうだろうか」と思いつつ、そのときに父が見ていたクリミナルマインド*1のとあるエピソードをみて、「幼児退行モノにしよう」と思ったんです。

で、夏を上手く表している作品って言うと何があったかなと掘り下げてみたらちょうど「あの花の名前を僕はまだ知らない」っていうアニメが脳裏をよぎって、そのアニメのもどかしさと無様さを上手く輸入しつつ、クリミナルマインドの不気味さとかをうまく下地にしたものが描きたいなと思ったんですよね。
それで図書館で借りてきたのが「街のトム&ソーヤ」という作品と宗田理の「ぼくらシリーズ」でした。

子供のような文体は街のトム&ソーヤから模倣しつつ自分の書体に織り交ぜてみて、子供っぽくわかりやすい説明とか展開というのはなんとなくぼくらシリーズで把握してやってみた感じです。あとはもう煮詰まるまでいろいろ情報とかアイディアを考えて、最終日手前にいっきにぐおーって書いたのがこれです。


ちなみにサブタイトルはご存じの方も少なくないかなと思うのですが、ゼルダの伝説の「夢を見る島」というゲームからです。ネタバレしても構わないという方は以下を反転してください。

このゲームは主人公が国を救ったあと、船でたびに出るんですが、遭難してしまって一人流れ着いた島での冒険の話なんですが、結末が衝撃的でありながら感動的でして。端的に言えばこの島の全ては「風のサカナ」という生き物の夢にすぎず、その風のサカナに取り付いたバケモノ(つまりラスボス)を倒して風のサカナを目覚めさせてしまうと、主人公が愛し愛された旅の道中の人々やすべてが島ごと消え去ってしまうんです。子供の頃にこれに僕は衝撃を受けて、未だに僕の中に根を張っている物語なんですよね。

まあ、大好きな作品なのでいざタイトルをつける段階になって、「ああ、これはあの物語の遺伝子があるなあ」と思ってつけてみたんでした。

 

■話の解説とか■

この作品は、端的に言えば母が死んだことを受け入れられずに発狂してしまった引きこもりの中年男性が主人公です。もともと酷いトラウマと複数の精神的な病を抱えていたと言う設定でした。で、母親の腐敗しかけの死体を見たことに因ってそれらの病状が劇的に悪化し、トラウマと過去の楽しかった記憶と発狂するまでハマっていたゲームが混ざり混ざって、「(小学校の自分から見た)大人がすべてゾンビに見えてしまう」という認知状態になってしまう、という状態に陥ります。

 

以下は読んで感想を投げてくれた友達からの疑問点への解答をブログ用に編集したものです。

 

 

Q.常軌を逸した出来事に対して、主人公が妙に淡泊であるのはなぜ?伏線?
A.これは伏線でした。なぜなら主人公は無意識の内でこれが夢想だと知っているからです。彼の認知上では彼のプロットをなぞっているだけに過ぎないので、蛋白に留めるべきだろうと思いまして。
だからこそ、ある日久しぶりに部屋を出て洗面所に行ったら、母親が死骸になっているというトラウマのフラッシュバックにあそこまで動揺するわけです。
 
Q.最後に出てきた女の子の立ち姿とか、時代考証がちぐはぐなのでは?
A.これも伏線のつもりでした。特に最後に出てきた女の子の姿とかに関してはそんなに悩まなかったんですよね。結局主人公は水島さんという「思い出の彼女」を哀れなこの女の子に見いだしているだけなので。
でも文字数があったら、服装とかの描写に矛盾を大いに置きたかったなあ、という気がします。つまり、現実を認識する彼の意識と妄想を視ている彼の意識が混濁している様を表現できますからね。
 
Impression. 一人称だからこそできるレトリックなのに、伏線がなかなか一人称ではできないことなので難しそう。主観性と客観性の位置取りの難しさみたいな


A.これはありますね。でもだからこそ、ちょこちょこ矛盾があるんです。たとえばタっちゃんが殴りかかっているはずなのに、後の文章では主語が自分になっているという非一貫性とかね。もともともっと文字数があれば、いわゆる多重人格のような形で現在の自分の自意識の描写を入れたかったところです。可能ならば、あたかも主人公の父親かというような描写の仕方で書き始めて、最後の最後で「別人格同士の混濁だったのか」と気付かぜるような。
 
Q.主人公の倫理感と共に移行する水のモチーフの描写が巧くて個人的にものすごいツボなんだけど、なぜゾンビが水を好むのかが分からなかった。
A.ああー!倫理観と水かあ!!そこは特に意図してなかったです。時間の経過を現実的な詩的さで表現できれば満足だったんですよね。そういう隠喩の仕方もあるのか…参考になります。ゾンビが水を好む点に関しては、ちょっとどうしてそう書いたかはもう覚えてないですね…それっぽく見せるためのブラフだったかもしれない…。
 
Q.4つ目のタイトルの3/3+(-1)って?
A.彼が現実を正しく認識できたという意味での0、と言う感じです。でもそう考えると、-(3/3) + 1=0 にするべきだったかなという気がしますが、まあ今のままのほうがキレイかなと。

Q.「最後のニュース報道の、死亡と重傷の被害者の内訳がよく分からなかった。母親だけが変死体で見つかって、ゾンビではなくて「モンスター」だという描写の違いには、何か裏設定があったのか気になった。母親が死んだから、過去の水島さんに拠り所を追い求めたのか?」
A. 経過としては主人公の母親はもともと死んでいて腐りかけのところに遭遇し、精神的に多大なショックを受けたところから始まります。

しかし、直後の段階では主人公の認知上でそれはなかったことになっているんですよね。その上でしばらく引きこもり生活を続けていて、徐々に彼の過去への妄想が現実と境がつかなくなってきて、とうとうその混濁した認識に呑まれた日の話がこの話です。

で、叫び声を上げた主人公を不幸にも聞きつけた近所のおばさんが、鍵の開いていた縁側の窓から入ってきて、これを主人公が殺害するわけです*2

で、母親の死体を直視したことで発生しているフラッシュバックと、大人というものへの恐怖が混ざり合い、事件前日までにやっていたゾンビのゲームのビジョンが現実に引きずり出されて、大人を見ると「ゾンビとして見えてしまう」という脳の認識異常が発生している、と言う感じです。でも脳科学的に考えるなら、頭をどこかに強くぶつけた描写があってもよかったかもしれませんね。

ちなみに友達の雄大くんですが、主人公が小学校を出る直前くらいに主人公をいじめ始めたという設定です。なのであの病院で死んだ二人のゾンビは雄大くんと雄大くんの息子です(そもそもこの子が休みの病室に忍び込んで寝ていたところに遭遇して、彼を通して幼い雄大くんの姿を見出して擬似的な和解を図ろうとした感じですね)ちなみにちなみに、電話に出たのは痴呆がひどくなってきている雄大くんのお母さんでした。そりゃ誰にも伝達されないよね。

 

モンスターとゾンビというのの違いには、特にそこまで大きな意味はありません。そもそもゾンビとして見えるようになったのはゲームと恐怖と母の死体のせいなので、そのあたりが一つに結びつく前は近所のおばさんへの恐怖しかないわけで(つまり、聞いたのはコウタの悲鳴ではなくておばさんの声)、結局嫌な予感がしているのは昔のトラウマから、みたいな感じです。

 

水島さんに関しては主人公がずっと片思いしていた子で、いじめられていた時クラスの中で唯一こっそり味方でいてくれた女の子、という感じです。だから彼にとっての唯一の安息だったんですよね、いじめられている時と、その後過ごした辛い人生の中でも。

 

以上です。こういうの、書かなくても読み解けるような伏線の貼り方がしたいですね。

*1:連続殺人犯を手口から心理的に分析をして特定、逮捕までのドラマを描いたアメリカのサスペンスドラマ

*2:彼女は主人公にとって天敵というか、たびたび世話焼きの皮を被ってモラハラやら叱りつけをしてくる相手だったという設定