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断片と断片の連想ゲーム

Quote:”オタクの息子に悩んでいます - 岡田斗司夫なう”

”自分の趣味に没頭していいのは、子供か「一人前の大人」だけなんだよ。”

 

メイキング・オブ[悩みのるつぼ]・オタクの息子に悩んでいます - 岡田斗司夫なう。
http://blog.freeex.jp/archives/51227624.html?utm_source=zenback&utm_medium=http%253A//blog.freeex.jp/archives/51227636.html&utm_campaign=zb_related_links

 

答えた僕もまだ迷っているよ。
本当に「独立」は正しい方向なんだろうか?
単なる「大人になれ」論と、どこまで違うんだろうか?

この相談に悪者はいない。出演するのは善人ばかりだ。
そして、善人というのは”弱い”という意味なんだ。
弱い人が身を寄せあって暮らしていると、弱さゆえに攻撃性が身内に向いてしまう。
母親は「最近の若者に対する拒否感」を息子に向け、息子は「世間の不理解への不快感」を母親に向けてしまう。
言ってしまえば「互いが本音で暮らしている」から、この悲劇は生まれた。
本音を出して暮らせるのは、保護期間だけなのにね。「もう暮らせない」と思うからこそ、人は自立できる。

でも、その「自立すべし」という処方箋は正しいんだろうか?
僕自身、15年前のデビュー作「僕たちの洗脳社会」で、こう書いた。
「近代的自我の確立とは、幻想だった」と。
じゃあ、近代的自我=人格の独立性が虚構だったなら、別に自立を目指さなくても、とかグチャグチャ考え出しちゃって、〆切りギリギリになったんだ。