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断片と断片の連想ゲーム

個人的経験に基づいた、完璧主義とその解決策について。

 

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/前書き

「こうでなくてはならない」という意識は、時に有害だ。
視野を狭め、不要なプレッシャーを付加し、自分の行動を劣化させる。

完璧主義と呼ばれるものはその一例だ。もちろん完璧主義にもいろいろあるが、行動に反映されないタイプの完璧主義が一番厄介だと思う。その状態に陥った人は、自分で現状に満足しないことが目的になってしまっている。というより、自分が完璧でないことを証明しようとすることが目的になってしまっているので、いつまで経っても何かができない。なぜなら、「失敗しないための努力」をしているからだ。

 

 

/失敗しないための努力と、成し遂げるための努力

育児教本なんかではよく引用されている話しであるが、とある心理学の実験で、言葉の選び方がどれくらい子供に影響を与えるか、と言うような実験があった。

概要はこうだ。子供にお皿を運ぶことを依頼し、その際にあるグループの子供には「落とさないように運ぶんだよ」と言い、もう片方には「しっかり持って運ぶんだよ」と言った。

結果として、前者のグループのほうが皿を落とした子供が多かった。何故か。それは最初から落とす結果を意識させる言い方だからだ。つまり、落としてはいけない、という印象を与えるだけで、脳裏には自分が皿を落としている想像だけが浮かんでしまうのだ。故に落とし割ってしまう。そして、現実では親も「落とさないように運ぶこと」を依頼したのでつい怒ってしまう。

失敗しないための努力は、これと同じだ。

わかりやすい喩えをあげるなら、「好かれるための努力」と「嫌われないための努力」というものがあるとおもう。上の実験で言えば、好かれるための努力は好かれている事実に着目せざるをえなくなり、嫌われないための努力は嫌われている事実に着目するようになる。故に、後者は徐々に「自分が嫌われている」という仮説の証明をするための努力に変質することが少なくない。

また、嫌われてはいけない、と思いつめることで、どうしても自分の事や周りのことをそれと結びつけて考えてしまうことも二次災害として発生する。それにより「自分は嫌われる人間だ」という風に思い込むようになり、嫌われている事実だけに目を向けて、自分の嫌われるようなところばかり着目するようになる。

 

/解決策

解決の方法はいくつかあるが、2つほど書いていこうと思う。

1. 自分の思考の誤謬に気づくことこちらの方法は、「誤謬に気づく」→「自分の本当に欲しい結果を模索する」→「自分の欲しい結果にたどり着くためのアプローチに切り替える(それがわからないなら試行錯誤を重ねる)」というステップを経る形になる。いうなれば、道に迷ったときのプロセスと同じだ。道に迷った時、「自分が迷っていることに気づく」→「地図で自分の行きたいところを確認する」→「軌道修正orなんとなくその方向に向かってみる」というプロセスを踏むのが一般的なように思うが、思い違いもある意味では迷走なのだ。

2. 自分の物差しの目盛りを増やす

2つ目という体で書いてはいるが、実はこれは一番の前段階に来るものである。完璧主義が行き過ぎると、極端な思考をするように成る。パソコンは0と1で様々なデータを表現するが、要するに自分の状態が1か0かで判断するようになる。言ってみれば自分がしなくてはならない、と思い込んでいることに対して、そぐわない自分を見つけるとそれを0と判断し、落ち込んだり狼狽する。しかしこれが仮に成功していたとしても、それが当たり前のことなので自分が評価できない。故に自分が失敗していることしか意識できずに更に0探しばかりが上手になる、という負の循環を踏んでしまう。

これはどうすればいいかといえば、0と1の物差しを、0から2、0から4、というように徐々に物差しの目盛りを増やしていくことが必要なのだ。これが世間によくある「完璧主義を治すには」というような記事で腐るほど書かれた、小さな成功体験をしていくことが効果的な理由である。とはいえ、「成功体験を重ねる」なんて書き方では核心が明確に記述されていないので上手く行動出来ずに投げ出して当然だ。現に自分は成功体験を増やすと言うような言葉を見る度に「できねーから困ってんだろうが!!」と内心絶叫して投げ出していた一人であることをここに懺悔する。だってそんなので何したらいいかなんてパッと理解できる精神的な余裕なんてないもん(´・ω・`)

まあ要するに、自分の評価基準の見直しをして、自分の誤謬を誤謬だと認めること、なのだ。

 

 

/まとめ

看護師の友人が言っていたことだが、「病気を治すためにはまず患者さんが自分が病気であることを認め、受け入れ無くてはならない。治療をするかどうかはその後の話だ」と言っていた。闇雲に問題があることを嘆き拒むことは、理解の出来ない状況に怒りを用いて自分の意思を押し通そうとする拙劣な振る舞いと似ている。結果として、ただの暇つぶしにすぎない。