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断片と断片の連想ゲーム

エゴサーチと、言葉の意味の重要性と、本質を捉えるということについて。

 自分の”楽”は必ず誰かが肩代わりしてるの。

大きな技術に関わっている人たちがそのことを忘れてしまうのは、ほんとうに恐ろしいことよ

http://itogakiretatako.seesaa.net/article/228420745.html

「エゴサーチ」とは自分の名前を検索することであって、任意のワードを検索することを指すわけじゃない。頼む、誤用を広めないでくれ!!! - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/695302

エゴサーチ 【エゴサーチ】
《egosearchingから》自分の名前やハンドルネーム、サイト名、社名などをサーチエンジンで検索し、他者による評価を調べる行為。エゴサーフィン。
◆いわれのない誹謗(ひぼう)中傷や意図せぬ個人情報などが書かれている場合があり、それらに過剰に反応することで精神的苦痛を受けるといった弊害が指摘されている。
(デジタル大辞泉より)

 これは最近よく見かける誤用。

フォロワーを何千人と抱える人達がこのような使い方をしているのも見かける。

まあ、それがけしからん、ってわけじゃなく。
言葉の意味をちゃんと知らないまま、使っている人が多いのだなあ、と思った。

たとえば、諦めるという言葉がある。
諦めるという言葉の意味を調べると、

もう希望や見込みがないと思ってやめる。断念する
とあることが殆どだ。

しかし、ここで語源を調べてみよう。すると全く違う景色が見えてくる。

諦めるという言葉。本来は、物の道理をしっかりとらえ、原因、結果を明らかにすること、つまびらかにすることという意味があります。
物の道理が分かり、なぜそうなっているのかがはっきりすれば、迷うことなく執着することがなくなるということです。

~言葉のちから~言葉のマメ知識|『話楽』~聞けばわかるさ~ 東和空の“楽楽法話”
http://www.wa-ra-ku.com/archive/mame2.html

 

いかがだろうか? 

先日、集中するということについて書いた記事においても同じことをしたけれど、自分が見ているものは「本当はなんなのか?」と問いかけ直すことはとても重要なのだ。

特に言葉にするという行為は、実態がないとある事象の一部を取り出す、抽象化に過ぎない。
その言葉の意味を捉えないまま使い続けていると、いつのまにか言葉に囚われ、使役されてしまうこともあると思う。上の諦める、という単語なんかはその一例だ。

 

「私は諦めなくてはならないのだろうか?」という問いかけがあるとする。
これは決断するときに頻繁に顔を出す問いだが、上の語源を踏まえて考えると、

『物事の道理を捉え、結果を明らかにし、現状を理解すること』が諦めるために必要だと言えるだろう。そこから、「私はこれに執着しないべきだろうか?」と考えるのが妥当だとわかる。

たかが一つの単語といえども、さまざまな行動が省略されて表現されているのだ。