fragment

断片と断片の連想ゲーム

そして去年までの諸感などとか

きっと長くなるである。箇条書きで灰色のところは注釈である。
それでもよければ先に進まれよ。

 

 

 

 

さて去年は通訳としてだったり、ただのツイ廃としてだったり、または友人として各方面には大変お世話になるばかりで、頭が上がらないことばかりだなあと思う。

 

それでも振り返ってみれば去年、もしくは去年までの二年間の自分は…端的に言えば指針と導くものを見失っていたように思う。

父親とワンルームで同居が始まって以来、一人で冷静になる時間も多くなく、知らないうちに機嫌を損ねないようにご機嫌を伺う自分は、身の安全を感じられないままただ消耗して毎日を過ごしていた。

けれど、その父には世話になりっぱなしで、彼の縁で紹介されたバイトが始まってからは金銭的な自由がわずかながら得られたことで心理的に持ち直すものの、まもなくバイト先でのストレスに徐々に耐えられず、精神的な瓦解と再構築を並行して行い続けるような一年だったなと。

それでいて改めて自覚したのは、2012年に虐待的な母親の支配下から初めて離脱してから三年間積み上げてきた、精神的な治療と思索の日々で得られた精神的な安寧が2年も経たずに瓦解したんだな、ということと、それに依る自分の視座の移り変わりだ。

そもそも三年間でできた事を要約するなら、今までのモラハラまみれの人生における歪んだ自意識とかトラウマの治療である。

まずACや毒親被害者にありがちな白黒の二極端思考と、周囲の人間の規範を内在化していくことで発生する内的な矛盾、そして「自分には現状を変える自由と余地がない」という思い込みの矯正がメインになっていたかなと今振り返って思う。

  • 二極端思考というのは0か1しか評価できないことである。1に届かなければ0なので、「100点をとっても親に評価されたりしなければ無駄だ」と思ってしまうこと。
  • 誰かの規範の内在化というのは、「これは間違っている」とか判断する理由として誰かの判断基準を採用してしまい、自分がその主導権を握れない状態のこと。
  • 「自分には現状を変える自由と余地がない」という現実の認識は読んだままの認知のことだが、鬱持ちの人間にとっては深刻で、特に僕の場合「私はこれだけ価値のない有害な人間なので死ぬしかない」という飛躍をしてしまう。仮に今そうだったとしても未来永劫そうだとは限らないし、対処できることは存外多いが、見えないのだ。

現状、この直したはずの認知の歪みが仕事先やらいろいろとのフラッシュバックでぶり返していて、それを立て直そうとしている状態にある。原因は職場の上司の一人にトラウマを踏み抜かれた事による。この人は「君のためを思って」「みんながこう思うから」みたいな表現を巧みに使って罪悪感を持たせて自分に有利な条件を引っ張り出すのが好きな人なので非常にめんどくさいし消耗する。

この手の手合いは自分が善人のつもりしかないので、相手を潰すことに躊躇がない。そして自己肯定感も低めな人なので、自分にわかることはみんなが分かっていて当然のことである、と思っているフシがあるのでなおタチが悪い。

母親もこの系統の人でもっとこじらせた感じの人間だったのでトラウマをゴリゴリ刺激されて感情性フラッシュバックで寝ているしかなくなってしまうくらいだ。要するに相性が悪い。

ついでにそこにブラックさが高めのトラブルも発生してもう私は瀕死である。具体的には今のうちに回復を…という休息期間でクリティカルを受けて残りHPが殆どレッドゾーンというくらいに。

そんな感じで気弱になっているので強迫性障害やらパニック障害が軽く出ていて生きることに支障がある年末をすごすことになったのである。度々荒ぶってごめんなさい。

ここまで書くと脳裏の自分は「被害者だから病みツイートをするのは仕方ないってことか。厚かましいな」と言い始めてダメージを食らい筆がとまる。
最近は大体こんな感じだ、非常に疲れる。