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fragment

断片と断片の連想ゲーム

Martian(オデッセイ)とYagni原則について(前編)

 

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At some point, everything's gonna go south on you and you're going to say, this is it. This is how I end. Now you can either accept that, or you can get to work. That's all it is. You just begin. You do the math. You solve one problem and you solve the next one, and then the next. And If you solve enough problems, you get to come home.

― Mark Watney, The Martian 

 

 

すでに夏にはもうUターンして帰って欲しいです。佐伯です。
さあこのタイトルの付け方もひさしぶりであります。画像は探してもやもやするのが面倒だったのでさくっと作りました。

 

見たのはリドリー・スコット監督作品、Martian(邦題はオデッセイ)。

この映画の粗筋を言うならば、有人火星探査ミッション中、事故で一人火星に取り残されてしまった主人公で植物学者のマーク・ワトニーがどうにかして生き延びて地球に帰るまでの話です。
(実態はディスコ・ミュージックと火星という最大の敵にジャガイモと科学で殴りかかる映画でしたが)


この粗筋からも分かる通り、主人公がしているのは生きて変えるための戦いであり、旅ではないので、見る前はオデッセイという、直訳すると長い長い旅という邦題は正直好きではなかったのですが、見終わってみると悪いタイトルでもないのかな、という気がしています。しかし旅をしているのはワトニーではないので、やはり違和感の残るところですね。やはり、Martian(火星人)というタイトルがワトニーらしいユーモアが感じられて好きです。

そんなMartianですが、個人的にはこの映画のいいところの一つは「非日常における日常感」だと思うんです。

というのも、ワトニーが火星にとりのこされてまずやったことは絶望することではなく、目の前の問題を解決することでした。そして出来ることを重ねて、一日、十日、百日、と生きていきます。

そしてワトニーの生存に気づいたNASAのメンバーも、それぞれに出来ることを最大限に活かしてワトニーの救出へと動いていきます。

問題を認識し、問題を解き、失敗したら対応して、また問題を認知し、問題を解いていく。言葉にしてみれば「当たり前のことではないか」と思うのですが、逆に言えばこれほどリアルなこともないと思うのです。

これは僕だけかわからないのですが、ある程度生きてみるとどんな非日常でも、目の前の問題を解決することをし続けていたらいつのまにか日常の中に埋まっていて、非日常というものがなんだったのかというのがよくわからなくなることがあります。そんな「没非日常的」ともいえるニュアンスがよく表現されているように感じました。

 

(続く)