fragment

断片と断片の連想ゲーム

一年と半年かかって現状報告。

いや、前の記事を書いたのは8月なので半年ほどぶりですが体調を崩してリハビリ生活が始まってからはちょうど一年と半年くらいなのですよ。

 

それはともかくおひさしぶりでございます佐伯です。
生存報告はTwitterで結果的に欠かさず行っていましたので特にそこに関しては疑いがないかと思います。

ですですが、一年半前くらいから過労と不摂生と鬱とかいろいろ重なった結果、体調を見事に崩しまして寝たきりになって以降、今日に至るまでリハビリ生活がつづいておりましてブログとか最近になるまで脳裏によぎることもありませんでした。続き物の記事なら続くかと思ったけれど事態はそれを許さなかったのである。

 

と、いうわけでざっくりと時系列にならべますと

 

2014年9月

なんだか体調が芳しくなくなってくる。胃というか食道が謎の爽快な不快感にみたされている

10月

起き上がれなくなる。最低でも16時間ほど睡眠を取らないと頭痛と目眩と吐き気に悩まされるようになる。学校には登校できずに半泣きで先生方にメールを書く。起きては無力感と鬱に悩まされる毎日であった。

11月

なんとかベッドから起き上がって3日に一度くらい活動はできるようになる。あまりの頭痛に頭痛薬を使ったところ薬物アレルギーで病院へ緊急搬送。点滴を四本つかってステロイドなんかをぶちこまれる。

12月

学校にも最後の定期コンサートに出演することも出来ずに昏倒を続ける毎日。学校にカリキュラムの延長を申請し受理される。年末から少しずつ気力を取り戻す。

2015年1月

医者に行くことも出来ず意味がわからない体調不良と無力感にせめて抗いたくて苦し紛れに年賀状をデザインする

ソシャゲで少しずつ精神力を回復しつつ、アパートから友達の家へ引っ越す。

カリキュラムの延長により勉強は続け無くてはならないが教科書がまったく理解できない。文字と単語はわかるのだけれどそれらが結びつかずに意味を成さない。

まったく何が原因なのかわからないけれど、逆流性食道炎らしいことと、症状から断定するに慢性疲労症候群らしいことを自覚する。が、保険はあるものの医者には行くために必要なことを処理出来る程頭が動かないため何も出来ないまま終わる。

2月

引っ越しは終わったが疲労と新しい環境への適応でオーバーロード、動く部分だけで生活をまわすので精一杯。とはいえ10時間から8時間程度寝れば動けるように。

半泣きになろうとかじりつこうと勉強はまったく消化できない、相変わらず頭は動かない。

生まれたことを後悔し懺悔して泣き続けて誕生日を終える。

締め切りの近かったインターンシップへ申し込む。

謎の卒業証書が届く。問い合わせたところ「手違いで卒業が成立」していた。ので結果的に短大を卒業。

3月〜5月

朝起きて散歩をするようになる。リハビリ生活を徐々に始める。

6月

症状が回復を見せてはいるものの、まともに仕事が出来るほどの体力も精神力もないためインターンシップは実質無理であったため強制帰国がほとんど確定。

7月

帰国へ向けて準備を地道に始めつつ、リハビリを続ける

8月

なんとかめどが立ちつつもリハビリを続ける。思考力が戻りつつあることを感じる

9月

15時間のバスと15時間の飛行機で帰国。ホテルでトラブルに巻き込まれたりなどいろいろするけれど友達やら周りの人に助けられまくりなんとか帰国を果たす。なし崩し的に父と同居へ。

体力を全部使い果たしたのと父親に対する心労とかいろいろでリハビリも出来ず寝たきりで一日を過ごす日々。

11〜1月

リハビリしようにも日本の環境は肌に合わないのかまともに集中することもできずに年を越す。年賀状は難航の果てに頓挫。どうやら帰国してからの精神性ダメージで脳をやられたらしく何も手につかず形にならず、鬱も悪化していく。未来への展望が全く浮かばずコンスタントに希死念慮と自殺願望を抱えて生きていた。

月末から父のつてでバイトを始める

2月〜3月

金銭的な余裕というのは心理的な余裕をつくる。実に三年ぶりにまともに病院に行けたので体調が劇的に変わり、様々なことに気を配れるようになる。バイトには苦労しつつもなんとか適応できている。

4月

改めて生活習慣を整えることに苦心しつつ、リハビリ的生活を続けている。

 

ブログはこれからどうしていこうかな…あんまり展望がないのでもう少し保留が続くんじゃ。