売り言葉に買い言葉、という言葉について。
一ヶ月が経ってしまいました。無念。
/売り言葉に買い言葉
売り言葉に買い言葉、という言葉がある。
よく聞きはするけれど、ちゃんと意味を調べたことはなかったなあ、と調べてみると、「相手の暴言に対して、同じように応酬すること」だとか。
なんとなく、「それはたしかにそうなのだけどなにか決定的に足りない」感。
というわけで、もっと記事をあさって見ると、こちらの書き方が一番しっくり来た。
売り言葉に買い言葉とは、商品を売るときの言葉に対して買うときの言葉という意味だが、このとき売買される商品は「けんか」である。つまり「ぶんなぐられたいのか、この野郎」というのが売り言葉、「なぐれるもんなら、なぐってみろ」というのが買い言葉。ありがたいことに、買い手は激しいパンチを無料で頂戴できる。
売り言葉に買い言葉とは何か - 日本語を味わう辞典 http://bit.ly/1EeVh1v
喧嘩を売る、買う、という表現と結びついた表現というのは腑に落ちるとともに、驚きと歓喜があった。それにしても納得である。
/喧嘩について
では、喧嘩が成立するにはどのような条件が必要だろうか。個人的には、3つほど条件があるように思う。
- 何らかの基準において同レベルであること、対等であること。
- 自分が正義で相手が悪である、もしくは自分は被害者で相手が加害者であると両者が確信していること
- 相手のことを何らかの事情で考慮出来ない状態であること(感情的になっていたり、精神的な余裕が無かったり、など)
これらの条件が最初から揃っているわけでは必ずしもない。だいたい、3つのうち一つが揃っていて、徐々に3つが揃っているころには喧嘩になっている、と言う感じのように思う。
喧嘩で目標になっているのは、自分の譲れないものを相手に認めさせることだ。そしてその手段が口論だったり、暴力だったりする。ある意味では、これもコミュニケーションだ。特に、幼少時の喧嘩というのはコミュニケーションの上で大事な意味を持っている。
子供は、その場・そのときの自分を強く主張したり、他の人々のことまで自己本位に解釈して、結果として争いを起こす。子供は喧嘩をすることによって、他者を知り集団を知り、自分自身を理解する中で、自分と他者を対等に扱うことを学び、正しく関係づけることを学び、集団を統制することも学ぶ。つまりは、子供は喧嘩をすることによって自己中心性から抜け出してゆくのであり、その意味では喧嘩は発達の糧なのである
喧嘩 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%A7%E5%98%A9
しかし、その後の殴り合いの喧嘩をする幼い頃を越えたくらいの人を見ていると、物理的暴力というのはモラルに反する、ということで、言葉の暴力だけになり、最終的に論理だけに頼るようになっていくような印象がある。もちろん、片方が感情的になりすぎた結果、暴力を行使する例は少なくない。
その流れで飛び出してくるのが脅迫という行為だ。子供の頃でも、口論で収集がつかなくなると「お前ぶん殴るぞ」という言葉が飛び出すが、定期的に論争(?)が起きているツイッターでも、「お前ぶん殴るぞ」という脅迫と同じような文脈で、「お前訴えるぞ」という言葉を使う人がいるのはなんとなく興味深いものがある。
とはいえ、ネットでの口論では法的手段だけでなく、相手の弱み(個人情報など)を暴露して拡散するなどというタイプの暴力もあるので、そう考えると単にリスクを避けるためだけに思考回路や行動ルーティンが複雑化しているだけで、私達はあまり成長はしていないのかもしれない。もちろん、そのようなものの複雑化を成長というのなら話は違うが。
売り言葉に買い言葉という言葉を使う心理
話を戻そう。売り言葉に買い言葉、という言葉で売られているのは喧嘩であり、では喧嘩とはなにか、という話だった。
では、「売り言葉に買い言葉だった」、という言葉を使う裏にはどんな意図があるのか?
まず、この言葉というのは言い訳の文脈で使われることが多い。言い訳というのは、「仕方がなかった事を説明する言葉」だと僕は思っている。しかし、「言い訳は聞きたくない」という言葉のように、世間一般では言い訳というのはどこか嘘のような扱われ方をされているように思う。
大辞林いわく。
いい わけ いひ— 0【言(い)訳・言(い)分け】
(名)スル
①自分の言動を正当化するために事情を説明すること。また,その説明。弁解。「━は聞きたくない」
②筋道をたてて物事を説明すること。解説。
③過失・失敗などをわびること。謝罪。「義理ある中の━と/人情本・春色梅児誉美3」
④言葉をつかい分けること。《言分》「場面による━」Via DAIJIRIN Third Edition
ここで言えば一番の意味が僕のいう意味なのだろう。そして、この書き方だとしっくりくる。正当化とは、つまり自分だけが悪いわけではないとすること、もしくは自分以外にも原因があったとすることである。
つまり、売り言葉に買い言葉にという言葉が言い訳だと言われるのは、それが自己正当化にすぎない言葉だからだ、ということになる。
考えてみれば納得がいく。その筋で解釈すれば、「売り言葉に買い言葉だった」というのは、たとえ謝罪の文脈であったとしても、「お前に売られたから買ったのだ。しかし、買った私も悪かった」ということになってしまう。つまり、売ったお前に乗せられた私が未熟だった、とも解釈できる。これでは謝罪をしているようで、原因はこいつだ、私は悪くない、と言っているだけになってしまう。
この言葉が火種になって、さらなる喧嘩になったところを見ることは少なくないが、それはこの言葉が使用した当人の内心に秘められていた、自己正当化と責任転嫁をさらけ出すからなのだろう。