読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

fragment

断片と断片の連想ゲーム

集中という行為の性質と、ゾーンの入り方について。

http://img.muji.net/img/item/4548718763351_02_400.jpg

/前置き

最近、桜井章一著、「揺れない心」という本を読んでいる。
そこでこのような一節がある。

そもそも精神的に混乱してわけがわからなくなることをなぜ、「頭が真っ白になる」と表現するのだろうか。視界がまったく見えなくなるなら「頭の中が真っ黒になる」でもいいはずだ。

それにはちゃんとした理由がある。真っ黒と真っ白であれば、真っ白のほうが極度に精神を混乱させるからだ。 

 

そして、以前の日記で、集中について書いたことがあった。

集注しやすい状況というのは、注ぐリソースが限られている状態だ。そう言う意味で、エントロピーの少ない状態、ということが出来ると思う(きっと用法は間違っているけど。笑)
もっとシンプルに、乱雑さの少ない状態といったほうがいいかな?まあ、肉体的な状況で言えば、ほどほどに疲れている状態のことだ。

熱中と集中と遠足について。 - fragment
http://catkid.hatenablog.com/entry/2014/07/23/115248

この2つは似ている。真っ白な画用紙に何を書くか考えるより、時には画用紙にちょっとした形や線が書いてある状態に何を見出すかを書くほうが楽だったりするように、何にでも集注できる状態と、少しのことにしか集中出来ない状態なら、後者の方がはかどり方がよいように思う。

これこそ、あの記事で書きたかったことなのだ。

 

/解説

すこしイメージして欲しい。
仮にあなたが暗闇の中にいたとする。集中というのは、その中に一筋の光が目の前に見え、そしてあなたはただ前進することだけが必要だ、というのがはっきりしている状況のように思う。

 

ただし、集中力がありすぎると、周囲の様子にまで気を配れてしまう。故に周りに実は小さな光があることに気づいてしまい、光を目指すこととはなんなのかと考えてしまったり、どれを選ぶべきか考えてしまったりする。
なんとなく、ミヒャエル・エンデの「自由の牢獄」のような話かもしれない。

扉は無数にあった。しかし、わしが混乱したのは、まさにそのためだ。もし扉が一つだけだったのならば、わしは言うまでもなく、すぐさまそれが開くかどうか試したことだろう。しかし、この沢山の扉には、わしの知らぬ理由があるはずだ。選ぶことはできるが、ゆめゆめ油断は許されぬ。罠が仕掛けてあるかもしれないからな。

 

ミヒャエル・エンデ著、田村都志夫訳、「自由の牢獄」より

結果としてこの老人は散々悩み続けて、その果てにどうなるのかを描いたのが自由の牢獄のざっくりとした要約だが、このような構図はどこにでもある。「どこから始めていいのかわからないから始められない」というのは、ほかならぬ僕自身がよく悩んだことの根幹にあった構造であったから。

とはいえ、やる気はやらなくては出ないように、集中力もやり始めなくては出ない。そして、やる気も集中力も、余剰に余裕があればあるだけ、逆に空回りしやすくなるのだ。

覚えはないだろうか?テストの2週間前なんかに勉強しようと思って机に座ってみたものの、なんとなくはかどらず、「今はまだまだ余裕があるからやらなくていいか」といって後回しにして盛大に爆死をするような経験に。

かならずしもテスト勉強である必要はないが、今すぐは出来ない状況のときこそモチベーションが急激に上昇し、実際に出来る状況になると他のことをしてしまったり、特にとりかからずに漫然と過ごしてしまう、というような状況はわりと身近なところに転がっているように思う。

この状態を先ほどの例えに当てはめるなら、「暗闇の中で光がいくつもある状況」なのだ。まあ、食道でどの食券を買おうか迷っている状況でもいい。

これが食券の場合なら、食欲を満たすという目標があり、その他に金額、味、腹の持ちなどに応じて、選択肢は狭まっていく。これと同じように、自分の中で熱すぎず冷たすぎない目標が持っている場合に、やる気と集中力というのは発揮されやすいように思う。

熱すぎる目標というのは、夢や意欲に満ち溢れすぎている状況であり、一方の冷たすぎる目標というのはどちらかといえば義務のような、やらなくてはならないという意識に傾き過ぎている状況だ。

夢や意欲に満ち溢れすぎていると、理想と現実のギャップに熱が冷めてしまい、なんとなく手持ち無沙汰になって捗らなくなってしまうし、やらなくてはならないという意識が行き過ぎると、どうしても自分の意志などを切り捨てたり、追い詰めたりすることになり、結局捗らなくなってしまう。

むしろ集中している時というのは、感情は不思議なくらい落ち着いていて、自分がやることについて冷静に判断しているような感覚を憶えていることが多く、徐々に行為のなかに楽しみを見出して、更に捗っていく、というような感じなのは、ゾーンについて調べてみるといくつかの記事で提示されていることに気づく。

『ゾーン』に入る方法
http://anond.hatelabo.jp/20140204221702

論理的思考というよりは、感性で動いているような、すごく言葉にするのが難しい状況ではあるが、不思議なくらい客観的に自分のことを判断できることに、一度ゾーンに入れば気づけるようになる。

 

敢えてここで飛躍するが、要するに集注する(ゾーンに入る)ためには、

  • 障害物を減らすこと
  • 意欲や義務を前提とした論理的思考で自分を動かそうとしないこと
  • 事前にやりたいことに関して慣れておくこと

が、重要に思う。

端的に言えば、集中ということにこだわるのをやめて、脈略なくTodoを消化するのがいい、ということだ。