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fragment

断片と断片の連想ゲーム

自己啓発本などにハマる人について

 

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”俺だっていざやろうと思えばできるとか思ってんじゃねえよ
努力ができないからお前なんだよ
それができたらお前じゃない”

 

本を読んだり、情報商材を買ったり、新興宗教にハマる人はなんだか似ている。
それはどんな風に似ているかといえば、自分で問題を解決する気がなく、また、責任感がどこか希薄なのである。まるで、責任転嫁をして逃げてしまいそうな雰囲気、とでも言おうか。

確かに、情報や教訓、スキルやノウハウ、などなどのそれらは、困難に満ちた状況を一瞬で変えることがある。何かを知っているということは、それだけにクリティカルで、致命的な事なのだと思う。

しかしながら、知っているだけでは無駄に終わる事もある様に思う。例えるなら、それらの画期的な解法が枝だとするなら、それを植える必要があったとしても、それを植えられるほどに幹や枝のその部分が成長していなくては意味がない。

 

スキルをせっかく覚えても、それを使えるだけのMPがなければ宝の持ち腐れであり、それを使わないので結局劣化し、忘れ、ただ知っているという事実だけが頭にだけ残る。脳は飽きやすく怠惰な生き物だ。それゆえ、一度知ったものを馬鹿正直に取り入れようとするほど勤勉でもない。

それゆえに一度知ってしまった知識で、且つそれが知識欲を満たす事に終始した場合、学習は身につかなくなるのだと思う。

例えば数学の記述問題で、何らかの手段で答えだけ手にいれたところで、そこまでの途中式を生成できるだけの実力が伸ばせていなければ、その答えを知っている事はほぼ無意味になる。部分点はもらえるかもしれないが、それだけにすぎない。実際の人生では部分点などもらえないのだから。

故に、直ぐに自己啓発やノウハウを求めるような人材は、「やればできる人材」にとどまる。しかもこの場合、「やることができる状態まで自分が他人がお膳立てができなければ上手くできない人材」、ということなので、自他のそれぞれにとって扱い辛いにもこの上ない人材になってしまう。

物事の結論だけを取り入れる事のみでは人は成長ができず、むしろ歩みはやがて止まることになる。いわゆる器用貧乏な人がなりがちな、「ノウハウコレクター」という生き方が趣味になる事は少なく、まあ彼らが茶を濁して生きているように見えてしまうのはそういうわけなのだと思う。

自分の人生が無意味だったと言われるのを潜在的に恐れ、しかし誰にもなれない自分のまま一歩も踏み出せず、まるで二の足でタップダンスを踊り続けるようなその生き方は、正しい形で自己肯定ができない限り続くだろう。自分が誰でもなく、才能もなく、自らが何をしているのか、認める事ができるまでは。

また、人は知っていると奢る。驕りは当然成長を妨げる。それは積極的に積極性を投げ打つ姿勢だからだ。

 

バックアップも兼ねてここより。

自己啓発本などにハマる人について - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/608037