軸という概念について
/前提
最近軸という言葉について考えることがあった。
軸という言葉を辞書で引くと、
”広く回転運動の中心,あるいは物事のかなめをいう”
とのこと。
つまり、軸というのは無くてはならないモノ、人体で言えば背骨であり正中線であり、胴体だ。これが人間の心理なら、きっとアイデンティティなのだろう。
/連想
軸といえば思いついたのは歯車だ。歯車には常に軸がある。
では歯車の歯とはなんなのか?少し考えて思い至る、それは役割だ。
子供、友達、長男長女、近所の人、学級委員長、部員、班長、バイト、社員、恋人、親、扶養主、などなど、などなど。
私達が生きていく中で、私達は様々な役割を掛け持ちする。
私達のそれぞれが軸なら、それらに付随する役割は全部歯車だろう。
ただ、時計を考えた時、軸も歯車も一つではない。それぞれの歯車と軸がそれぞれのリズムで並列して噛み合って、ひとつの現象、時間を表現する。
つまり自分の中の軸は必ずしも少なくなくてもいいのかもしれない。
ここまで考えて、ふと思い至って英語の軸、Axisの意を調べてみた。
するとすごく興味深い違いがあった。
"Imaginary straight line around which a body (such as the Earth) rotates."
つまり、物体の回転運動の中心にある想像上の直線、ということ。
それは回転運動にAxisはつきものだということでもある。
この言葉にしがたい些細な認識の違いというのが個人的にはすごく面白いと感じた。このような言語にある些細な違いと言うのは実に面白い。
話を戻す。
つまり、何らかの運動は軸があってこそ成立する、ということでもあるんじゃないだろうか。基礎あっての応用というか、帰る場所あっての旅というか。
そんなことをぼんやりとコーヒーを飲みながら思ったのだった。