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断片と断片の連想ゲーム

流暢さとその会得についての考察

/前提

”特定の言葉が分からなくても、知っている言葉で説明できる能力こそが「流暢さ」なのです。知らない単語があっても、その周りを巧みにダンスすることで、流暢に話すことができます” - http://www.lifehacker.jp/2014/07/140728language.html

 

/感想

文章力って、こう言う流暢さかもね。

流暢さとは淀みない流れのこと、流れがスムースなら流暢ということだと解釈していいと思う。だとしたら、流暢な流れを持つ川はどのようにして成り立つのか?という質問の回答に、案外流暢さを体得するヒントも隠れているのかもしれない。

 

/考察

そうそう、流暢さという単語に関して検索してみたらこのような記事が引っかかった。これもなかなか興味深い。

 

英語の流暢さ向上に「多読・多聴」も有効!? | たかが英語されど英語 おとなの英語習得法
http://blog.etn.co.jp/english-tadoku-tachou/1528.html

 

 

読・多聴は、読解と聴解の「自動化」を促進します。「自動化」とは、英語を流暢に使える様にするために、語彙や文法の知識を無意識的(自動的)に使えるようにすることでしたよね。

リスニング(多聴)は聞いても20%しかわからないような教材を聞くより、80%以上わかる教材を何度も聞く事。その素材をリーディング(多読)にも使う事も有効だといいます。なぜなら、リスニングの時はスピードが早すぎて単語・意味を理解するだけで終わってしまいがちでも、読むときは文法構造まで処理する余裕がでてくるからです。それを何度も繰り返すことにより、読解と聴解の自動化が進むと考えられます。

 つまり、川が流暢に流れるためには同じ場所を流れる水が必要なように、流暢さを手に入れるためには既に知っていることを何回も繰り返すことが必要なんじゃないだろうか?

しかし知っていることだけを繰り返すのではなくて、そこから川の幅を広げるような、自分を少し挑戦するようなことも必要なのだろう。

100%の実力を出そうとしたら120%の実力を出すことを目標にしなければならない、という話はよく聞くが、それと同じようなものだと思う。

人の頭の殴り方も同じだ。人を殴るとき、狙うのは拳の当たりうる場所ではなく、その向こう側の空間を殴ることを意識するといいらしい。

 

/結論

ゆとりを持つためには、ゆとりを作るために+αの労力が必要なのかもしれない。その+αが積もり積もって、最終的なゆとりになるんじゃないだろうか。