fragment

断片と断片の連想ゲーム

熱中と集中と遠足について。


常に己の選択によって、今、私達の状態は確定されている。

逆だ。熱量が足りないから余計なことを考えてしまうんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20140722193006

圧倒的に熱量が足りない。言い直そう、心の温度が40度だからダメなんだ。

紙は燃えると思われているが、例えば水を入れて適切に熱すると、紙は燃えずに中の水だけが沸騰する。

まり、紙には発火点という、限界温度がある。紙は233℃で燃え始める。

今のオマエは、鉄くずに塩を詰めただけのカイロだ。

同じ酸化でもスピードが違う。だから一定以上の熱量が溜まらず、発火も爆発もしない。

 

 

 

 

この記事を書いた人はすごいなあ、と手放しに感嘆してしまった。脳裏にあった、上がりかけの撃鉄を即座に起こして引き金を引いてくれた。

 

僕の場合、何でもそうなのだけど何かに熱を上げている状態になると、どこかで冷静に物事を俯瞰している自分がいる。

ゲームをしていると、なんとなく冷静になっていってしまったり、少し文脈は違うけど、寝ようとしているところでふと、停滞している状態に耐え切れなくなってスマートフォンに手を伸ばしてしまったり。

それはまるで、人体が、口から過剰に摂取された糖分を処理するためにインスリンを分泌し、それによって血糖値が急激に下がることによって悲しくなったり眠くなったりするみたいに、今ある状態の逆の事をとっさにしてしまうことという事がある。

無意識にそれを選べるということは、意識的にそれを(容易ではないにしても)選べるということだと思う。つまり、熱中し続けることというのは可能なんじゃないかなと思う。

ゲームで冷静にならないために、合理的な判断やゲームをするという目的においての些末事を、その場で切り潰して熱中することに戻ることはやったことがある。

最近、特に文章を書くことにおいては上手くゾーンに入ることが出来るようになったのだけど、これも多分やっていることは同じ。

 

ここで集中という言葉を辞書で引いてみた。

1か所に集めること。また、集まること。集注。Via 大辞林

集注という単語のほうが呼んで字のごとく、という感じがするしイメージとしてわかりやすい。元気玉みたいだなあ、と思った。集めて、特定の方向に放つ、注ぐ。
これからは集注と言う単語をつかおうと思った。うむ。

 

集注しやすい状況というのは、注ぐリソースが限られている状態だ。そう言う意味で、エントロピーの少ない状態、ということが出来ると思う(きっと用法は間違っているけど。笑)
もっとシンプルに、乱雑さの少ない状態といったほうがいいかな?まあ、肉体的な状況で言えば、ほどほどに疲れている状態のこと。
これはライフハッカーの記事で読んだのだけど(記事が見つからない…(´・ω・`))、肉体的に余裕がある状態の時というのは、集中力も分散している。つまり、集中し始めるまでに時間がかかる人というのは、集中力に凄まじく余裕がある。

物音がした、そちらを向いた、さっきまで考えていたことがわからなくなった、みたいな事が起こりうるのは、遠足にいく小学生をイメージすればわかりやすい。

5人のグループのなかで、働き蟻(働き蜂だっけ?6:2:2の法則だっけ?名前覚えてないや。笑)の法則を当てはめるなら、3人がそこそこやる気、1人が本気、1人が不真面目、という構成にどうしてもなってしまう。

そして森を横切って目的地に向かう途中、不真面目くんが何かを見つけて楽しそうに追いかけていく。周りのメンバーは気づいて追いかけようとする。最終的に真面目君も追いかけざるを得なくなる。そうして迷う。

この構造は前述のノイズに気を取られて集中力が覚めてしまう、という事と似ている。
そして、起きて三時間位の最も精神的にも肉体的にもエナジーが有り余っている時間というのは、グループが10人、人によっては100人だったりする。

もし100人ならそのうちの20人が森のなかでうさぎを見つけて「うさぎちゃーんヽ(=´▽`=)ノ」って追いかけてっちゃうことになる。なので集中力はすぐに切れてしまう。

そこから、運動をすると集中しやすかったり、朝起きてからの1時間が集中しやすいのは、グループの総人数(総バイタリティ)が少ないからなのだろうな、と思う。

なので、物事を始めた時点で大多数のメンバーを切り捨て、精鋭を選別する。これが集注するために必要なことなんだろうな、と思う。

 

まあ、なんだってそうだよね。始めるためには目的を絞り、そのために使う手段を絞り、自分の技術を磨きあげて不安要素を省いて、っていう数多の段階を集中と呼ぶんだ。みんな「集中しなきゃ!」っていうの大好きだけどね。

 

言葉の意味を、辞書で引いたりしたあとで、自分なりに考えるのってホント大事。