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断片と断片の連想ゲーム

ユートピアとディストピアについて。

あなたの絶望は私の幸福かもしれない

 

AppleのiOSにはユーザー監視用のバックドアが秘密裏に設けられていたことが判明 - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20140722-back-door-ios/

 

 

Zdziarski氏によると、Appleはバックアップ暗号化用のバイパスを利用して端末内のパーソナルデータにアクセスできるようなバックドアを設けており、これらは「司法当局のために、エンドユーザーの端末内のデータにAppleがアクセスできるようにするための措置」であるとのこと。また、このバックドアはiOSのファームウェアの一部として故意に追加されたものである、ともZdziarski氏は指摘しています。

Zdziarski氏はNSAとAppleの協力関係を非難しているのではないとしながらも、これらのバックドアを利用してNSAが潜在ターゲットの情報収集を行っている、という事実は問題であると語っており、Appleがこのバックドアに関する詳細な情報開示と説明を行うべきである、と語っています。

 

個人的には、スマートフォンっていう頭のいい端末が爆発的に広まったら普通それにある程度監視できる仕組みはつけるよな、と思う。国家というものの性質をなんとなく考えてみると、処理能力にも依るけど、それが結果として集団のために有益になることも少なくない気がするから。

 

この記事を承けて、ディストピア化が極まってきた、という声をちらりと見かけたが、そもそも、人が幸福を追求することは、絶望からの逃避でもある。言ってみれば、幸せの追求がうまくなればなるほど、自らの思う絶望から巧妙に逃げられるようになるということ。強い光があるところには深い影ができるように、素晴らしい幸せには常に深く冥い絶望が共にあるのではないかな、という風に思う。

つまり、人は自ら天国を克明に思い描く傍らで、絶望を思い描く。地獄と天国は自らのオーダーメイドなのだ、と。

また、ユートピアとディストピアは常に背中合わせにある。何万人も救える勇者は、何万人も救える殺戮者足りうるように。今あるものをどう使うかで全てはそこにある。

そう言う意味では、一面しかないものなど無くて、全ては光源の当て方と配置場所に依るのなんじゃないかな。そう言うことを意識して、その物事の影と光のあたっている部分を見ることができることが、多面的にものをみることなのかな、とも。